その後のリハビリ

堀尾さんが帰って行ってしまってから

2〜3日経ったころ実家に行きました

 

 

案の定です

母のマイペースに父がイライラ💢

 

イライラ通りこして

疲れて寝込みそうな勢い・・・

 

イライラしながら

母の手にリセッターを付けるので

雑になり母は痛がっています

どうしたものか・・・?と思いながら

母にテレビ見る時間を決めてみたら?

とか、リハビリの記録を付けてみたら??

など提案し帰宅しました

 

 

その日の夜、堀尾さんが

「お母さんどうですか?」

と連絡をくれたのです!!

めちゃくちゃ、ありがたいです!!

 

 

なので、実は・・・と

その後の父母の様子を話しました

 

 

そしたら、リハビリはマイペースで良いのですよ」

とおしゃって下さいました

堀尾さんからその言葉をきけて私も納得し

”マイペースで良い”と父母にも伝えました

 

 

私に連絡を下さったあと

本人たちの方にも電話して下さって

話してくれました

本当に感謝です!!

 

 

ともかく、せっかちで一本気な父にとっては

マイペースな母に合わせる

我慢の多い日々になりそうです(* ̄▽ ̄)

 

 

堀尾さんは電話で私の主人のうつ病についても

少しアドバイスを下さいました

 

 

「あなたのご主人は優しい人だから

そういう病気になったんんだね〜」と

優しいから気を使い過ぎるのだと・・・

 

 

「親の監視の目がないところで

伸び伸びと過ごせたら・・・

もしかしたら良くなるかも知れないね?」

 

 

私は「うんうん」と頷きました

今まで家族やクリニックの先生以外で

主人のうつ病について考え

相談に乗ってくれる人はいませんでした

そんな人の言葉は

本当に暖かく、ありがたく感じました

 

 

 

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急に寒いやん

今週のお題「急に寒いやん」

つい、この間まで日中は30度あって

いつまで残暑続くの?

なんて思ってたのに

 

 

昨日は雨のせいか1日中寒く

早いか?と思いながらもタートルネック

着ちゃいました(*´꒳`*)

寒いときはあったかい服着ればok♡

 

 

麦茶を作るのもやめて

あったかいお茶を急須で入れて飲み始め

夏場はあまり作らない味噌汁も作り始め

鍋はさすがに、まだしていませんが

この間はグラタンを夕食にしました

 

 

食べるもの飲むものの切り替えは早いですが

衣替えはなんだか面倒で・・・

今日着るものを衣装ケースから引っ張り出しては

着たりしています

 

 

急に寒なるの、やめてよ・・・!

「今年は暖冬かも」と誰かが言ってましたが

春と秋は長い方が良い(* ̄▽ ̄)b ぅん♪

 

 

あっ、そういえば

スネが異常に痒いので

冬に使ってた保湿クリームの残りを

ヌリヌリしています(笑)

乾燥の季節の始まりですね

 

 

今年の紅葉はどうでしょう?

紅葉って毎年出来がちがいますよね?

 

 

真っ赤も良いですが

緑と黄色そして赤、3色混じった紅葉が

私は好みです🍁

どこへ見に行こうかな??(*´罒`*)ニヒヒ♡

 

 

 

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奇跡のリハビリ2

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本の著者、堀尾さんによる

リハビリはマルっと2日半行われました

 

 

堀尾さんはウチの母のリバビリの約束を

して下さった時は静岡で別の方を

見ていらっしゃいました

その後、緊急で京都の方をみて

ウチに来てくださり

このあと一度、自宅に2日ほど戻られた後

今度は東京の方に行かれるそうです

 

 

ひっぱりだこです

 

 

日本の脳血管疾患の患者数は174万人

1年間の患者数は22万人

再発を含むと29万人だそうです

 

 

私の父方の祖母も脳梗塞

20年近く寝たきりで亡くまりました

 

母方の祖母もまた脳梗塞

10年ほど寝たきりで再発もしましたし

喋ることも、口から食べることも出来ず

本当にに苦しい生き方を

長く強いられたと思います

 

祖母が亡くなってからもう15年以上経ちますが

祖母のことを思い出して話すときの母は

いつも涙しています

 

 

戦後の食べ物の少ない時代に

結婚して子育てに家事

内職で稼ぎ、家族を支えてきた祖母

七人兄弟の長男である祖父が結婚したとき

末っ子たちはまだ学生でした

 

その上、祖父の父は病弱であったため

働くことがほとんどできなかった

と聞いています

 

病弱なのに子供7人作れるの??

どないやねん!!

とつっこみたくなるのですが・・・

 

ですから、祖父母は一時は12人の

大家族を支えてきました

 

 

だいぶ、話が外れてしまいましたが(*゚▽゚*)

とにかく祖母という人は大変に

苦労した人であったと

いろいろなエピソードと共に

我が家では語り継がれています

 

 

その祖母も脳梗塞で不自由な身体のまま

亡くなってしまいました

 

 

なので、私たちの中では

脳梗塞イコール不自由なまま治らない

と思ってしまっていました

 

 

ですが、いざ母の身にこの病が訪れたとき

簡単に諦めることなど出来なかったのです

 

 

そして今こうして脳卒中のマヒを治された人に

リハビリを教えていただく事ができて

本当に、本当に幸せだったと思います

 

 

あとは、堀尾さんが帰られた後です

父と母とで2人3脚の地道なリハビリを

行うのみです

 

 

今後のリハビリについては

若干の不安が私の中にはあります

父と母の性格の違いがあるからですが

 

 

ちがう性格なので、テンポが違うのです

ということは・・・

どちらかが合わせなければいけなくなります

 

 

今まで行っていたデイサービスは止めるそうです

訪問リハビリやマッサージも相談して

止めることになりそうです

このリハビリに集中していく生活が始まります

 

 

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(人´∀`*)

 

 

奇跡のリハビリ

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脳梗塞で右半身マヒの実家母ですが

”奇跡の復活”というこちらの本

 

 

10年ほど前に脳卒中で左半身マヒになり

一時は生死のさかいを彷徨った著者が

ご自身で考えだした独自のリハビリによって

たった40日ほどで

倒れる前とほとんど変わらない状態にまで

回復することができたという

 

 

私たち家族にとっては”神”のような

この本の著者、堀尾憲市さん

その堀尾さんがなんと!!

ウチの母のリハビリをしに家に来てくださる

という素晴らし出来事が

先週ありました♪───O(≧∇≦)O────♪

 

 

なぜそのような事になったのか?

堀尾さんはご自身が

脳卒中のマヒから復活した経験から

同じようにこの病で

不自由を強いられている全国の方々のもとに

出張してリハビリをして下さっていたのです✨

 

 

母のマヒと闘う生活は

5年にも及んでいます

最近はすっかり諦めてしまい

体力もなく、車にも15分乗っていることが

精一杯な状態です

 

 

「寝たきり」という言葉が

頭をよぎります

 

 

そんな母のもとに

堀尾さんが来て下さることになり

それだけでも父も母も笑顔になれました

 

 

そして堀尾さんは終始

「〇〇さんは絶対良くなるよー」

「動くようになるからねー」

と温かい言葉がけをして下さいました

 

 

堀尾さんの温厚な人柄

話す言葉、内容すべて素晴らしく

本当にありがたい思いです

 

 

リハビリはまずは”リセッター”という

手指と足首を正しい位置に

2時間ほど固定することから始まりました

 

 

なぜそのような事が必要なのか?

無理なリハビリにより

縮こまってしまった手や足は

まずはその痙縮(けいしゅく)を

とり除いてからでなければ

正しいリハビリが始まらないのだそうです

 

 

そこで”リセッター”を装着して

しばらく固定し

脳に正しい位置を覚えさせるのです

 

 

脳が危険を感じるような

無理なリハビリはしてはいけないのです

そう、ポイントは”脳”です

 

 

そして、そのリセッターをはずし

リハビリの開始です

マヒ側の指に動け、動け、動け・・・

と何度も何度も信号を送るのです

 

 

倒れる前に使っていた神経経路は

もう使えません

なので新しい経路を探すための

とても地道なリハビリです

何千、何万回と経路を試すのです

 

 

そして、少しでも動けば右手を撫でて

”動いたね!”喜んでは褒めてあげるのです

そうする事でリハビリは

しなければいけない苦痛なものではなく

楽しくて仕方ないものに変わるのだそうです

 

動いてくれた右手は

可愛いくて仕方ないと

堀尾さんはおっしゃいます

 

 

 

これだけしか動かない・・・

ではなく、動いてくれた

よかった、よかったなのです

 

 

なので焦る気持ちはありますが

マイペースで良いのだそうです

 

 

動くということを

噛み締めて喜べばいい

そうする事でリハビリは

無理なくどんどん進めることができます

 

 

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今週のお題「夢」

現在40代半ばの私ですが

若い頃、10代から20代の頃

ときどき、忘れたころに見る夢がありました

 

 

”座布団のようなものにつかまり

地面スレスレを飛ぶ”

 

 

という夢で

その夢を見ている時の気持ちは・・・

 

 

空を飛べるはずなのに??

なんで?スレスレなん??

もっと高く、高く!!と念じているような

ちょっと歯がゆいような心持ち

 

飛ぶことは辛うじてできているが

”スレスレ”っていう微妙な状態

あの夢は何だったのか??

 

 

夢って予兆なのか?

それとも、その時強く感じている気持ちを

夢としてみているのか??

 

 

どっちにしろ心地よい夢ではなく

なんとも言えない余韻が残る夢でした・・・

 

 

体育祭

今日は中3息子の体育祭にいってきました

ウチの子は勉強よりも運動の方が得意

今年はリレーでアンカーをつとめるそうで

夏休み明けからの練習を

毎日はりきっていました

 

 

体育祭のプログラムは3種目のみ

①大縄

②台風の目(5人横並びで竹の棒を持ってのリレーです)

③各学年の全員リレー

 

 

私は3年生のリレーを目指して

学校に向かいました

到着すると、2年生のリレーが

始まるところでした

 

 

パン!!

スタートのピストルと同時に

5人の走者のうち4人くらいがズッコケる⁉️

(。=`ω´=)ぇ?

どうやら演出だったらしく・・・

 

 

リレーで演出って😶

ありなんですね⁉️

 

 

そして全員リレーだからか?

僅差の白熱した勝負ではなく

1位から5位までの差の開きが大きい

結果となりました

 

 

2年生が終わって

いよいよ3年生の番です!

オおー!!!という大きな掛け声が

3年生集団の方から聞こえてきます

 

 

私はスタート付近で観ていたのですが

( ̄ー ̄?).....??アレ??

1番走者の中に、うちの子発見・・・

アンカーって言ってたのに??

 

 

よーいパン!!

何だかばらつきながらスタート(笑)

しかし、さすが1番走者

みんなめっちゃ速い!

赤いハチマキのうちの子は

気合い入りすぎてたのか

カーブすぎたところで

一瞬つまづいたように見えた😅

 

 

その後どんどん35人ほどの全員リレーは進み

進むにつれ1位2位はぶっちぎり状態に

3位4位5位が入れ替りながらがんばっている

 

 

今日はカラッとしたいいお天気

でも日差しは強く汗ばんでくる💦

 

 

大差がついたまま1位、2位のアンカーに

バトンが渡った!

1位がゴール!2位もつづき

その後少しの間をおいて3位のクラスを

4位の赤いハチマキが懸命に追いかけている

 

(。´・ω・)ん?ん

うちの子やん!!

2回走るんかい!!

うん・・・予感はあったんだけどね・・・

 

 

ウチの子、性格が真面目なので3位だろうと

4位だろうと一生懸命走る💨

(๑و•̀ω•́)و 頑張れーー!!

それにしても…

家では見たことない別人級の

わが子の真剣な表情にボー然(・Д・)

 

 

その少しあと、最下位のクラスのアンカーが

走っていく

ビリでもさすがアンカー、すごく速い!

すでに4位のクラスはゴールのテープを切っている

 

 

しかし5位の黄色いハチマキの彼は

一生懸命、歯を食いしばって走るわけではなく

諦めてやる気なく走るでもなく

応援するクラスメイトに両手を振りながら

颯爽と走りきり

その様子に他のクラスの子まで応援している😮

 

 

そしてゴール&ハイタッチ🙌

リレーって1位が勝ちじゃなかったっけ⁉️

5位のはずの彼に

完全にもってかれた感がすごくて(笑)

なかなか、面白かった(╹◡╹)

 

 

その後3年生は記念撮影と

たくさん張られたテントの片付けも

したそうです

お疲れ様でした!

 

 

帰宅した息子に

「黄色いハチマキのアンカーって誰?」と

聞いてみました

「Nやで!」と半笑いの息子

N君といえば小学校の頃から

学年で一番イケメンを自称するような子でした(笑)

 

 

今の時代、勝ち負けも重要ですが

負けてもポジティブでいられるメンタルって

最強なのでは?と感じました

 

 

ちなみに息子のクラスは元々、人数が他のクラスより少ないうえ

当日の欠席者と体調不良者もいたので

人数あわせのため2回走る子が

数名いたそうです

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました😊

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老々介護の限界

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右半身マヒの実家母の介護を続ける父

週一で実家に通う娘の私は

父の愚痴をきく機会がふえるいっぽう

 

 

「オレは毎日何のために生きているのか

解らない…」

など涙まじりに打ち明けられることも

1度や2度ではありません(;_;)

 

 

 

母が脳梗塞で右半身マヒとなってから

5年近く経ちました

リハビリ病院から退院してきて

家事の全てと介護を

ずーっと続けてきた父

 

体が思うように動かない母のことを

かわいそうに思うのか

細かい事まで本当にこまごまと

してあげる父なんですが

 

 

リハビリ頑張れば

もう少し手足が動くように

なってくれると皆んな信じていました

となりの県にある

「脳リハビリセンター」に週2回ほど通い

熱心にがんばった時期もありました

コロナ禍になる前のことです

 

 

今やすっかり諦めてしまった母

本人よりも介護する父の方が

母の"諦めの境地"

に精神が参ってしまい

成すすべのない毎日を送るしかなく…

疲れきってしまっています

 

「いつから諦めたの⁇」

と母に聞いてみました

 

 

「3年たったころから諦めはじめた」と母

 

 

よく脳卒中のリハビリは

時間との勝負といわれます

なので母も、もう半年経ったな

そろそろ1年だな…

など時間を意識して

今までを過ごして来ていたのです

 

 

諦め始めたとともに

体力の方もどんどん落ちてきて

二人とも墜落寸前

低空飛行の毎日

 

 

父は本来多趣味で活発

山登り、キャンプ、サイクリングにDIY

友達に誘われればフットワーク軽く

出かけて行ってしまう様な人でした

 

 

いつもは大変ポジティブなのですが

実は落ち込み始めると

とても脆いところがあります

 

 

今年の夏の初めころ見つけた本

「奇跡の復活」という

脳卒中から独自のリハビリ法で

倒れる前とほとんど変わらない状態にまで

復帰することができたという内容の本ですが

 

 

 

著者の堀尾憲市さんが

実はかなり近くの県に

お住まいである事がわかりました

 

 

なので何となく

お会い出来たら良いよな〜

っと思っていました

 

 

そして今

うちの両親を救ってくれるのは

この方しかないんじゃないのか⁇と思い

堀尾法の「復活の会」というホームページに

辿り着き登録を済ませました

 

 

そしていつもの様に過ごしていました

夕方私の携帯がなりました

知らない番号だったのでスルーしました

そしたら、またすぐに電話がかかってきます

またスルーしましたが

(・_・)......ン?

っと思いました

 

 

さらに1〜2時間後、また携帯に着信が

コレは⁇…もしや?

と出てみました

まさかの堀尾さんご本人からの

お電話だったのです!!

 

 

ひえ〜Σ(゚д゚lll)

すごく緊張しながら

そのまま1時間以上はなし

「大丈夫!動きますよ!!」

とおっしゃって下さいましたo(≧▽≦)o 

 

 

そして何と!

ウチに来て母をリハビリして下さる約束を

する事ができたのです🎵

マジです!!

すごいです!!

ぱっ〜と明るい光が見えてきた瞬間でした!!

 

 

 

読んで下さってありがとうございます(^-^)

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